じいちゃんのこと

去年の夏、じいちゃんが死んだ。

一ヶ月くらい前からそろそろかもという雰囲気があり、二週間前には多分もうという感じで、可能ならば会いにくるように親から伝えられていた。

二週間前に会いに行ったとき、じいちゃんは老人ホームにいた。たしかに前よりも元気がなくなっていたし、裸眼かつ軽い痴呆のせいか、ずっと私を別の従姉妹と勘違いしていたけど、まだまだ口調もはっきりしているし、今までのようにここからまた盛り返してくれるんじゃないかと少し期待していた。

翌週会いに行ったとき、じいちゃんは病院にいた。じいちゃんはベッドで寝ていて、そのうち目を覚ました。私の名前を呼んで、「先週は間違えちゃったけど今はわかる」と笑いながらはっきり伝えてきたので、やっぱりまだ大丈夫なのではと思った。

でも少し経つと、本当に急に、起きているのに寝言のようにもごもご話すようになって、目も焦点が定まらなくなって、ご飯を食べようとしているのにスプーンは口に届いていなくて、会話もできなくなった。ものすごく眠いのに無理やり起きていようとしている人みたいだった。じいちゃんの口のまわりを拭きながら、「ここ数日はだいたいこの状態なんだよね」とお父さんが言った。

一週間後、じいちゃんは老衰で死んだ。寝たんだな、と思った。

 

 

両親が共働きだったため、小学校入学時から中学校卒業までは、いつも学校が終わったあと実家近くの父方のじいちゃんばあちゃん家に行き、晩ごはんを食べ、仕事を終えたお母さんが迎えに来るのを待っていた。そんな感じで、じいちゃんばあちゃんはたまに会う可愛がってくれる人たちではなくて、日常的に接点のある存在だった。

自分は何故か昔からじいちゃんばあちゃんのことがあまり好きになれないでいた。決して嫌いというわけではないし、苦手だと言いきるほどでもないけど、とりあえず、好きだとか好かれてるとか仲がよいとかが言える関係性ではなかったと思う。「好きになりたかったし、好きになってもらいたかった」というのが今はしっくりくる。

ばあちゃんとの関係は結局最後までしこりが残るようなかたちで終わってしまったけど、じいちゃんについては、じいちゃんがややボケだしてからかなり関係がよくなった。じいちゃんは歳を重ねるにつれロックになっていき、何やら社会規範等の抑圧から解放されていく感じがして、接していて純粋に面白かった。話をしていても急に別の話に飛んだり謎の前提が飛び出してきたりしたが、その流れに乗りながらじいちゃんと話をすることは、苦痛ではなくむしろ楽しかった。

 

ばあちゃんが亡くなってから、じいちゃんは急に身体が弱くなった。それまでは町内でチャリを乗りまわしていたのに、億劫になったのかあまり動かなくなり、筋肉が衰えほとんど歩けなくなった。そのため、家の中での移動は這ってするようになっていた。

その頃、じいちゃん家を昼過ぎに訪ねたことがあった。じいちゃんはベッドから這い出て迎えてくれた。疲れたから休んでいたと言い、「じいちゃん朝から忙しかったんだよ」と今まで自分が何をしていたかを話し始めた。
「まず朝起きたときにじいちゃんはうんちがしたくなって、どうしようかなと思ったけど、動くのが大変だし間に合わなかったからオムツにしたんだよ」 
「そのあと汚いからシャワーを浴びることにしたら、またシャワー途中にうんちがしたくなって、トイレまで行こうかなと思ってたんだけどもう諦めてじいちゃんうんち漏らすことにしたんだよ」
そのあと三度目の便意に襲われたときにはトイレに間に合った、という旨の話をして、最後に「その漏らしたうんちはそこに包んである」と私のすぐ隣に置いてある包みを指差し、稲川淳二の怪談みたいなオチで話を終わらせた。軽快な語り口だった。

一時間ほどの滞在時間はおもに排泄の話題に費やされ、生存の基本的なことにこれだけ時間や体力や諸々を割かないといけないとなるとなかなか厳しいものがあると思った。このときにはもうじいちゃんが老人ホームに入ることが決まっていたので、じいちゃんが少しでも生存ではなく生活をすることができるようになることを願っていた。

 

じいちゃんはホームに入ってから、また歩けるようになり、絵をたくさん描くようになった。私はじいちゃんの描く絵が好きで、お世辞とか「おじいちゃん偉いね〜」みたいなの抜きで、単純に面白く感じていたので、なるべく色々見せてもらうようにしていた。
ホームに飾ってある花、かつて高崎動物園で見たボス猿、何らかの大会で優勝した石川遼さん、高倉健さんの横顔、線路開通やこの前食べたお弁当…。じいちゃんの目に入って、興味を持ったものが描かれていた。絵を見ていると、じいちゃんがなにかに目を向けたり感じたりしながら暮らしていることを実感して、嬉しくなったり楽しくなったりした。
ホームの廊下にも、じいちゃんが描いた絵やときたま標語のようなものが飾ってあった。正月ごろには「お餅に愛を」という標語があった。職員さん曰く「お餅に注意」と書くように頼んだけど、じいちゃんがアレンジをしてこうなったとのことだった。

じいちゃんは滅茶苦茶な言動でよくまわりの人々を困らせていたようだったが、私はケラケラ笑う率直で突拍子もないじいちゃんといるのは面白く、帰省してじいちゃんに会うのが楽しみだった。

 

ある朝、じいちゃんが老衰で亡くなったと連絡があった。じいちゃんちへ向かうと、ベッドにじいちゃんが寝かされていた。ぱっと顔をみたとき、目と口が開いていて少しびっくりした(お父さん曰くだんだん開いてきてしまったとのこと)。何だか質感が明らかに生きているときと違っていて、蝋人形みたいだった。目はうっすらと白く濁っていて、顔つきもじいちゃんとは違っていた。ばあちゃんのときは、本当にただ眠っているみたいだったけど、じいちゃんは、明らかにもうここにはいないんだなと思った。じいちゃんはこんなもんではなかった。むちゃくちゃで愉快で傲慢で軽快で、とにかくこんなもんではなかった。

じいちゃんの死は、今まで体験した人の死の中で、一番穏やかに受け入れられたものだったと思う。単純に、今もとても寂しい。

 

 

思い出して苦しくなる場面がある。

じいちゃんが亡くなる一週間前、病院で会ったとき。じいちゃんは術後で、手術した場所がひどく痛みだしたため、痛み止めをもらおうと看護婦さんを呼んでいた。「痛い痛い、すみません、痛み止めをください、痛いです」と大きな声で言っていたのだけど、看護師さんは無視して通り過ぎてしまった。気づいていないのではなく、明らかに無視をしていた。もしかして、じいちゃんが何度も同じ要求をしたりしていて、痛み止めを適切な間隔を空けて服用していないためにあえて無視をしたのかなとも思ったが、お父さんが呼び止めて同様のことを伝えると痛み止めがもらえた。今服用しても特に問題ないとのことで、じいちゃんの要求は特に誤っていなかった。
また、じいちゃんは食事がひとりでは摂れないので、病院には食事の補助をお願いしており、その分のお金も払っていた。しかし、毎日訪問していた両親曰く、恐らく食事の補助はされておらず、そのため自分たちがいないときにはご飯を食べられていないのではとのことだった。まあ忙しそうだしね…とふたりは話していた。

医療現場の疲弊(本当に忙しそうだった)も、いちいち構っていられないことも、じいちゃんが無茶苦茶な言動をすることがあることも、決してその看護師さんが悪いわけではないことも、とてもよくわかる。ただただ、じいちゃんがまともな意思を持つ人間として扱われていないことが、そういう場所に置かれていることが、とてもつらいと思った。

じいちゃんは病院内や病院外を歩きたいと言ったが、それは病院では認められなかった。恐らくダメだと言われても無理やり歩こうとしたため、じいちゃんはベッドに拘束されていた。ホームにいた頃は歩けていたが、歩かなければ筋力も弱るため歩けなくなっていた。歩けなくなったじいちゃんは明らかに覇気がなくなっていた。
病院にいる間は歩けない。ここは歩き回ったりすることを目的とした場所ではなく、必要な箇所を手術して、治療することを目的としているから。この病院は生活するための場ではなくて、生存するための場だから。

担当医は検査結果を見て、前よりも数値がよくなっており、回復していると言っていた。じいちゃんは明らかに前よりも元気がないが、「回復している」らしい。このまま一日中ベッドに寝かされ続ければ、じいちゃんは絶対に死ぬ。すぐに死ぬ。それはきっとみんな分かっていて、それはもうどうしようもなかったことかもしれないけど

 

じいちゃんの最後の数年は「もうすぐかな」と「かなり調子が良くてウケる」の繰り返しだった。その過程で、今まで知らなかった面を知ったり、今までと異なる関わり方ができたりして、個人的にはかなり面白かった。じいちゃんと自分の間だけでなく、他の人との様子を見ていても、そういう新鮮さを感じた。
じいちゃんが元気になること、元気でいることは、何か未来や成長等を想起させるようなものではなくて、あくまでも終わりに向かっており、それをどれだけ引き伸ばせるか、みたいなものだった。そうしたことを感じるたびに、どう受け入れればいいのかわからず、すこし胸が苦しくなることもあった。

でも、そうであったとしても、じいちゃんが生きていること、じいちゃんが何かを感じたり考えたりすること、じいちゃんが他者と関わることは、決して価値がないものではないし、その存在は決して粗雑に扱われていいものではない。
そんなの当たり前だし、明言することもないはずであってほしいと思うけど、自分自身が忘れてしまいそうになったり、表明することを躊躇ってしまうことがあるから、ちゃんと書いておく。

 

 じいちゃんがかつて見たボス猿

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